『共感する女脳、システム化する男脳』 サイモン・バロン=コーエン NHK出版

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 女性と男性の脳の違いについて、生理学的な見地から研究成果を紹介した真面目な本。本書の内容を簡単にまとめるとすれば、だいたい次のような感じになる。

 1)脳は傾向別に2つのタイプに分けられる。ひとつは「共感(*)」。これは他人の感情
   に反応して適切な感情を催す傾向のこと。もうひとつは「システム化」。周囲環境や
   対象物の中に隠れた規則やパターンを見つけ出す傾向のこと。前者を“共感(Empathi
   -zing)”に優れたという意味で「Eタイプ」、後者を“システム化(Systemizing)”
   に優れたという意味で「Sタイプ」と名付けている。(ちなみにEとSのどちらも同じ
   くらいでバランスがとれているのをBタイプと呼ぶ。)

 2)統計的に女性はEタイプが多く、男性はSタイプが多い。なお女性が言語能力に優れ、
   男性が空間把握能力に優れると言われているのも、元々はこのEとSの傾向に起因する
   と思われる。(あくまで統計的に有意差があるという意味であって、もちろん個人差は
   ある。地図が読めない男もいるし国語が苦手な女もいるのは当然のことだ。)

   *…もしかしたらこれはミラーニューロンの発火によるもの?

 ちょっと気になったのは、著者がこれらがすべてほぼ生得的な特徴だと決めつけているようにみえるところ。たしかに男女による性向の違いについては、1~2歳の頃から既にその萌芽が見られる。(例えばお人形が好きな女の子とか、乗り物が好きな男の子などもその一種。)でも成長の過程では、最初は僅かであった違いが選択強化されることで、更にハッキリとした違いになるという事も充分に考えられる。とすれば、どこまでが生得的でどこからが後天的かなんて、そう簡単には決められないはず。(脳は柔軟性や可塑性にも優れているわけだし。)
 なぜそんなことを思ったかと言うと、本書に挙げられている成人男女の特徴について、日本人の目から見ると少し極端過ぎる気がするから。つまり著者が「生得的」といっていることが自分からみると「後天的」に思えるというわけ。仮に著者が言うように生得的な男女差があるとしても、それを土台として、いかにもアメリカ的な文化が上書きされているような印象がある。(話は違うが、最近のニュースによれば女性の方が「空間把握能力」が優れている社会が発見されたらしいという話もあるし...。なかなか一筋縄ではいかないテーマだ。/笑)

 ここではとりあえず男女の特徴が生得的なものだとしよう。とすると、その理由として著者がたてた仮説は以下のとおりだ。
 空間把握能力(≒システム化)には左脳が深く関わっていて、言語能力(≒共感)には右脳の発達が重要。そこで男性ホルモンの一種である”テストステロン”や”アンドロジェン”の分泌により、胎児期の脳に影響が与えられると、右脳の発達が促されて「男性的な脳」になる。逆にそれらのホルモンの値が低いと左脳が発達して「女性的な脳」へと変化する。―この仮説は、性腺機能の障碍を持つ人の調査やその後のホルモン治療の効果、もしくは脳を損傷した人の症状観察、脳の活動領域の変化および性別による脳構造の違いなど、様々な観点から検証が試みられている。(理科好きとしては、このあたりのくだりはなかなか魅力的。)
 言葉を変えれば「システム化」というのは、近似によるモデル化や簡素化に外ならない。もしも脳の処理能力が低くて一度に多くのパラメーターを扱えない場合は、脳は自らに与えられた数少ない因子を用いて強引な近似(解釈)をすることになるだろう。逆に「共感」が過ぎると、周囲のあらゆる人への気配りで身動きがとれなくなり、優柔不断で判断がくだせなくなってしまう。(ものごとの決断には、ある程度の割り切りが不可欠ということでもある。)
 つまり大切なのは「SとEどちらのタイプが優れているか?」ということではないのだ。どんなことでも程度が過ぎるとよくないのは当たり前。多様な人々への配慮をしながらも、極力沢山のパラメーターを組み込んだシステムを構築して、その時点で最適(bestではなくても少なくともbetter)な選択をすることが、生きていく上で重要だという事だろうか。
 以上をまとめると、本書が新しいのは「人間をタイプ分けする際にSとEという軸を据えた事」と、「そこに生物学的な根拠がある“可能性”を示唆した事」であるといえそうだ。

 著者の元々の専門は自閉症の研究なのだそう。したがって本書の後半には、アスペルガー症候群など自閉症スペクトラムの人々についても多くのページが割かれている。アスペルガー症候群は共感やシステム化に関する障碍ではないかというのが、本書における著者の主張。具体的にいうと、自閉症とは脳にシステム化が極端に顕われた状態なのではないかというもの。ここで提示されるのが、「“共感”と“システム化”というふたつの特徴は“ゼロサム”の関係にあるのではないか」という新たな仮説。“ゼロサム”の関係というのは簡単に言ってしまえば「いちかゼロか」、すなわち互いに相容れない性質ということ。もしもその仮説が正しいとすれば、「S」と「E」は単なるふたつの評価軸ではなく「対抗軸」ということになる。著者がそう考えた根拠は、男に比べて女に自閉症スペクトラムの出現率が極端に少ないためらしい。
 でも自分としては、著者の見解に納得できないところがあるなあ。以前読んだ『自閉っ子、こういう風にできてます!(**)』によれば、自閉症というのは著者が考えるような「コミュニケーションの障碍」というより、むしろ身体感覚の障碍と考える方が妥当なようだし。

  **…アスペルガー症候群の翻訳家と作家のふたりの女性が、自分たちの身体感覚を率直
     に語った対談集。それによれば、例えば体温調節が出来ないだとか、意識しないと
     手足が統合制御できないとか、はたまた周囲の生活雑音の中から自分に関係した
     情報(会話のことばなど)を拾い上げるための、フィルターが上手く働かない等の
     事例が紹介されている。

 身体感覚に不具合があり、脳に入力される情報が少ないため、やっと手に入れた情報にこだわり過ぎる。そのために周囲から見ると奇異に見える言動が目立ったり、デリカシーに欠ける応対をしてしまう。――これが『自閉っ子...』で示されていたことだった。またアスペルガーの人はこだわりが強くて共感能力に欠ける半面、受け取った情報はそっくりそのまま素直に理解する傾向が強いらしい。とすれば、本書で著者が主張するように周囲を意識的にないがしろにしたり、自分の興味が持てない事をわざと無視しているのとは違うはず。
 著者の説によれば、自閉症スペクトラムの人々がシステム化の能力に長けている理由は、Sタイプとして突出しているからということになる。しかし反対に、障碍があって入手情報が限られてしまうから、やむを得ずSタイプ(システム化)の力を「伸ばさざるを得なかった」という可能性、つまり原因と結果の順番が逆の可能性もあるはずなのだ。

 結局のところ、本書で著者が述べようとしたことのうち、「脳にはSとEのふたつのタイプがある」というのは良いとして、「それは生得的なものである」というのにはちょっと疑問が残った。概ね賛成ではあるけれど、ちょっと論証には弱い気がする。すごく興味深いテーマなだけに、本書が提示した様々な指摘や疑問に対して、最新の研究結果が早く紹介されるといいね。(このまま結論無しで宙ぶらりんのままじゃ、何だか欲求不満になりそうだ。/笑)

<追記>
 以上、あれこれ内容についていちゃもんをつけたけど、大きな流れについては別に不満もなく好著だと思う。それより文句をいいたいのは題名について。著者自身も文中で何度も強調しているが、性差を扱う本には軽い調子で面白おかしく書いたものが多い。(いい加減な書き方をした本の中には、性差別を助長しかねないものも。)
 本書(原著)はそのような誤解を招かないように、表現ひとつとっても大変に気を遣って執筆されている。それなのにどうして原題の“The Essential Difference(本質的な差異)”にこんな邦題が付けられてしまうのだろう。「女脳」「男脳」などという断定的ないい方は本文中では一切でてこなくて、せいぜいが「統計上は女性に多いEタイプと男性に多いSタイプ」という程度なのに。
 世に溢れる脳のオモシロ本に便乗した「売らんかな主義」が見え隠れしているようでとても残念。もしも文庫になるような事があれば、そのときは是非とも原著のままの題名に戻すことを切に希望する。
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