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昨夜みた夢 2021年(第358夜~第373夜)

11月にみた夢です。今月はやたら芸能人の夢をみました。


《霜月》

【第373夜】
金沢の家には部屋の中央にガス給湯器が置いてある。知久寿燒が部品から組み立てたものだ。彼は「こんなものはただの給湯器。何の価値もない」というが、工場で組み立てたのではなく、家でいちから組み立てたことに意味がある。ファンにとっては貴重な品だと反論する。満更でもなさそうだ。

【第372夜】
その家では当主の父親と16歳の息子が反目しあっている。猫は片足立ちで全ての爪を伸ばし、母親と娘はその様子をじっと見ている。
午後から会議があるので、それを報告書にまとめていたら出掛ける時間になった。靴が見つからない。16.5のサイズは小さ過ぎるし、37.4では明らかに大きい。

【第371夜】
小学生の一日の様子をシミュレーションするプログラムがある。枠がひとつ余っているので自分もやらせてもらうが、周りで見ているので少し恥ずかしい。体育が終わってから帰宅する。古本屋に行く時間の余裕がない。

【第370夜】
赤はあぶないが、白なら大丈夫。壁に掛かった上着の背中に文字が浮かびあがるので、その色をみて判断する。

【第369夜】
SFイベントに参加する。互いに結婚と離婚を6回繰り返したカップルを紹介される。今は結婚している状態だそうだ。そのことについて話すときには、「結婚と離婚を」という風にカギ括弧を付けなければいけないらしい。SFファンにありがちなこだわり。

【第368夜】
朝礼用の原稿をチェックする。「紅勿」についての話だけれど、テレビを観ていない人には何のことか分からない。そのことを後輩社員に伝えると、「なるほど、知らないことが悪い訳ではない、というトーンで話します」と言っていた。そろそろ晩ご飯の時間だ。

【第367夜】
「サバ調はやばい」というメモがある。

【第366夜】
巨大な赤十字病院のバウンティハンター。血液検査から逃走していた者を捕まえて引き渡す。仕事を終えて郊外から帰るとラッシュに巻き込まれる。二日前に見たのと同じ車が前方にいる。手慣れた感じ渋滞を抜けていく。あのドライバーも名古屋に帰るのだろう。踏切を越えたらもうすぐ病院だ。

【第365夜】
勝呂誉が『怪奇大作戦』の撮影時の思い出を語る。本物の魔女はアメリカ西海岸には殆どいなくなってしまった。でもなんとか撮影しなければいけない。仕方なく、それらしい人をでっち上げたらしい。当時の合言葉は「約束があるから」。

【第364夜】
人面魚にされてしまったと噂の歌手が、雑貨屋の店頭で売られていた。本物だろうか。テレビモニターでは現役当時のビデオが流れ続けているが、濁った水槽の中は何も見えない。監査役が来たので教えてあげる。ほら、例のあれですよ。ほう、これが例の……。あまり詳しくは知らないようだ。

【第363夜】
打ち上げした店の横の畑にパセリが植えてあった。少しちぎって自転車で持ち帰る。黒猫も抱えているので大変。前方を走るおばさんが邪魔でパセリを側溝に落としてしまう。猫を抱えたままではしゃがめないので、鞄に入れて蓋をする。にゃあにゃあと怒っている。拾い上げるとタラの芽だった。

【第362夜】
天狗にインタビューする。精霊の一種とのことで、RPGで次のターンを知らせるのが今の仕事だそう。集中している時に音を立てると文句が出るので、神経を使う仕事だそうだ。試験会場に大きな目覚まし時計を持ち込んでいるが、微かにチンという音しか出さない。プロの技だ。

【第361夜】
オリンピックの係になる。基本はオンラインだけれど、せっかくだから期間中に一度ぐらい東京に行ってみたい気もする。競技会場はどうでもいいが、神保町には行けるかな。ダメ元で申請してみようかというと、同僚が嬉しそうだ。

【第360夜】
東北の藩主には蘭方医を雇う金も無い。あくまでボランティアの医師が生意気な口をきく。花柄の回転式拳銃とスニッカーズを両手に持っているが、慣性があるので思うように動かせない。

【第359夜】
玄関から猫が脱走した。慌てて追いかけると他所の猫がいて、二匹で家の中にかけ戻る。野良猫らしく汚れているので外に出すと、他にも三匹ほどいる。ふと横をみると網戸が開いて部屋には蜂が何匹も。殺虫剤を取ってくると、今度は小さな影が二匹。仔猫だ。いったいどうなっているのか。

【第358夜】
長期の出張で久しぶりの出勤の朝。普段と違う道を車で走っていると、20センチほどのペンギンがいくつも立っている。人形かと思ったら羽繕いした。本物だ。そういえば町おこしでペンギンを飼いはじめたとか。どうやら野良になりつつある。生態系を乱すからやめた方がいいのに。
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2021年11月の読了本

今月は古本市があちこちで開催された関係で、蔵書がまた積み上がってしまった。一生懸命読まなければ。(気になる新刊もたくさんでるんだよなあ。)

『銀鼎・続銀鼎』泉鏡花 泉鏡花記念館オリジナル文庫
オリジナル文庫もこれで第五集となり、今回は「文壇の〝衛生家〟の面影を伝える佳品集」との説明がある。三十歳の頃に赤痢に罹って以来、加熱しない生の食材を絶対に口にしなかった鏡花のこと、「衛生」といっても結果的には食に関する記述がある作品が多く収録されている。
最初の二篇「左の窓」と「大阪まで」は、東海道線の電車の旅による今風「弥次喜多道中」。解説によれば喜多八は鏡花、弥次郎兵衛は弟の豊春であるらしい。どちらも内田百閒『阿房列車」のような気楽さがある。続く「湯どうふ」では豆腐を"豆府"と書くのがいかにも衛生面に煩い鏡花らしい。この「湯どうふ」と、その後の「真夏の梅」「熱い茶」はいずれも随筆ないし談話の書き起こしで、いわば鏡花の生の声だ。そして「銀鼎」「続銀鼎」で列車旅と食を描く。(今回は「食」とともに「旅」もテーマであるようだ。)これらの表題作は「春昼/春昼後刻」みたいな続きものだけど、前半の旅情とユーモアから、後半の食の艶かしさと美しい風景描写、そして刹那に閃く怪。順礼(巡礼)の薄気味悪さがさらにムードを盛り上げる。これは好い。そして最後の中篇「卵塔場の天女」。こちらは金沢の地を訪れた能楽師の顛末を学校教授の目で綴った物語。芸事と雪国の因習と自由な生き様が三つ巴になって能舞台を駆け抜ける名品。近江町市場と思しき界隈の魚介類や加賀百万石の料理の数々の描写が実に見事。不意に現れる福助の不気味さといったらない。前半の気楽な掌篇から後半のたたみかけるような力作まで、よくバランスのとれたセレクトで、たっぷり愉しむことができた。
それにしても、なんで鏡花はこんなに好いんだろう。まさしく日本文学界で唯一無二だな。

夕食も終わって落ち着いたので泉鏡花『銀鼎・続銀鼎』を読み始めた。最初の二篇「左の窓」と「大阪まで」は東海道線の電車の旅による今風「弥次喜多道中」。内田百閒『阿房列車」のような気楽さがある。続く「湯どうふ」では豆腐を"豆府"と書くのがいかにも衛生面に煩い鏡花らしい。「湯どうふ」「真夏の梅」「熱い茶」はいずれも随筆ないし談話の書き起こしで、いわば鏡花の生の声だ。そして「銀鼎」「続銀鼎」は列車による旅と食を描いた創作。
今回の泉鏡花記念館オリジナル文庫は食をテーマにした作品集とのことだが、併せて列車の旅がついてまわる。
泉鏡花「続銀鼎」とんでもない話だな。駅の立ち食いうどんに亡くなった人の眠るような白い姿が二重写しになる。なんとも言えない凄みがある。
泉鏡花「銀鼎」「続銀鼎」は傑作だった。「春昼」「春昼後刻」みたいな続きものだけど、前半の旅情とユーモアから、後半の食の艶かしさと美しい風景描写、そして刹那に閃く怪。順礼の薄気味悪さがさらにムードを盛り上げる。これは好い。
『銀鼎・続銀鼎』読み終わった。最後の中篇「卵塔場の天女」の人間模様が実に見事。また、不意に現れる福助のぶきみさったらない。力作だった。
それにしてもなんで鏡花はこんなに好いんだろう。まさしく日本文学界で唯一無二だな。

『社会学的想像力』C・ライト・ミルズ ちくま学芸文庫
伊奈正人/中村好孝訳。1962年にわずか45歳で亡くなった著者が1959年に書いた、「20世紀社会学の古典的名著」とされている本の新訳だそうだ。
恥ずかしながら社会学に対して「社会の仕組みや成り立ちについて研究する学問」という程度の理解しかしていなかったので、文章中に「社会学」と「社会科学」という二つの言葉が混在しているのに戸惑ってしまった。著者はこの二つの言葉を厳密に使い分けているので、本書を読む際にはその点に注意しないとちょっと混乱するかも。
一応、念のために書いておくと、著者の言う「社会科学」とは経済学や法律学、政治学、人類学などのことで、社会の仕組みに関して論理的に研究を施すもの。「自然科学」に対置されるものと思えばなんとなく当たってる感じ。それに対して「社会学」はもっと人間寄りで、社会における人と人との関係性に焦点を当てた学問のこと。だから法律学とは別に「法社会学」などという分類が存在するらしい。後者は法律の在り方が社会において人間にどのような影響を与えるかを調べる、みたいな感じになるのだろうか。
本書執筆当時は東西冷戦の真っ只中であり、社会には様々な矛盾や軋轢が生じていた。そんな中で多くの社会科学者たちは、抽象的な概念体系の構築に耽溺したり、或いは思索のない統計調査に明け暮れるなど、「理性と自由が人類の歴史を作り得る」という人類史の中でも卓越した時代において自らの責務を放棄していると著者はみている。
ミルズの主張は明確だ。「社会学的想像力により、歴史と個人史とを、さらには社会のなかでの両者の関わりを洞察することが可能になる。それが社会学的想像力の責務であり約束なのだ。(中略)個人史と歴史、そして社会における両者の交差という問題に立ち戻ることなくして、社会をめぐる研究はその知的冒険を全うすることはできない。」すなわち彼によれば、私的問題を公的問題へと翻訳し、公的問題を多様な諸個人にとっての人間的に意味の観点へと翻訳し続けるのが(リベラルな教育者としての)社会科学者の政治的使命であり、そしてそれを実現できるのが「社会学的想像力」なのだ。
そして社会科学者たちの知的・政治的な怠慢を徹底的に批判・糾弾していくのだが、歯に絹着せぬものいいがあまりにも激しいので、読んでいていっそ清々しいほど。こんなにアツい本だとは思わなかった。

『古本買いまくり漫遊記』北原尚彦 本の雑誌社
元は「本の雑誌」に不定期連載されたものに、大幅に加筆・訂正した上で書下ろしの章を加えたもの。内容は題名そのまんまで、色々な土地を回ってただひたすら古本屋で本を買った記録が綴られる。SFとミステリに造詣が深く、且つ名だたるシャーロキアンの著者だけあっていずれも濃い、というかまともじゃ無い(褒めてます)著者の買いっぷりが、可笑しくもまた清々しい。いくつかの章では本棚探偵・喜国雅彦氏も同行するという豪華版になっている。(古本マニアとしてもミステリオタクとしても、いずれにしても面白い。)前半は国内篇で、所沢市に始まり越谷市から山梨県は甲府市、さらに茨城、群馬、新潟、岡山、北海道は札幌まで、九つの古本ツアーの記録が描かれる。後半はなんと海外篇で、マレーシアにサイパン、ベルギーとオランダ、そして英国はヘイ・オン・ワイの古本村まで、文字通り世界中を駆け回って非売品の本や怪しい本やマニアックな本を買いまくる。ただ行った本屋の名前と買った本のことが羅列してあるだけなのに、なんでこんなにおもしろいのだろう。(「本好きアルアル」ではある。)昨日、一昨日と二日続けて市内で開催していた古本まつりに行ったばかりなのに、本書を読んでいたらまた行きたくなってしまった。

『古本買いまくり漫遊記』途中。前半は国内篇で、所沢市に始まり越谷市から山梨県は甲府市、さらに茨城、群馬、新潟、岡山、北海道は札幌まで、九つの古本ツアーの記録が描かれる。いずれも濃い、というかまともじゃ無い(褒めてます)著者の買いっぷりが、可笑しくも清々しい。後半はなんと海外篇。
ただ行った本屋の名前と買った本のことが羅列してあるだけなのに、なんでこんなにおもしろいのか。(本好きあるある)


『機龍警察〔完全版〕』月村了衛 ハヤカワ文庫
正直なところを言うと、警察ミステリはほとんど興味が無かった。〈87分署〉シリーズも一切読んだことなくて、〈フロスト〉シリーズも一作目だけ。でも本作は前から評判が良くて一度目を通しておきたかったので、重い腰を上げて手に取ってみたところ、これがまたおもしろい。近未来の世界で、『装甲騎兵ボトムズ』みたいな近接戦闘兵器・機甲兵装により戦争の状況は一変している。当然ながら犯罪もそれら機甲兵装を使って凶悪化したものが増え、ついに警視庁は契約した三人の傭兵と新型機甲兵装「龍機兵(ドラグーン)」を中心に「特捜部」という独立部隊を立ち上げる。
設定だけ読むとよくあるアニメみたいな感じもするのだけれど、実際に読んでみると印象はぜんぜん違っていた。パワードスーツによる戦闘もたしかにおもしろいのだけれど、それよりもキャラが全部立っていて、キャラ小説としてよくできている。すぐ頭に浮かんだのは〈京極堂〉シリーズ。最近の漫画だと『鬼滅の刃』あたりだろうか。まだシリーズの最初とあって一人一人の過去の十分な掘り下げはされていないし、設定にもいろいろな謎がある。続けて読んでみたくなる力のあるエンタメ小説だった。(さっそく続編の『機龍警察 自爆条項』を買ってこようと近所の本屋に行ったら売ってなかったので、またどこかで探して来なければ。)

『野呂邦暢 古本屋写真集』 ちくま文庫
岡崎武志・古本ツアー・イン・ジャパン(小川力也氏)のお二人による編集で2015年に盛林堂書房から出た本の増補版。芥川賞を受賞しつつ42歳という若さでこの世を去った文学者が、1970年代に撮ったと思しき東京を中心とした古本屋の写真を集めたもので、文庫ではさらに第二部として著者の古本エッセイ、第三部として編者による座談が収録されている。
まずはページを開いた途端、120枚を超える圧倒的な写真の数々に見惚れてしまう。文庫川村や三茶書房、大屋書房に八木書房、一心堂書店に小宮山書店、田村書店といった、今でも多くの客で賑わっている本屋の四十年以上前の(今とあまり変わらない)佇まい。均一台を眺める人々の様子も愉しい。早稲田の古本街は行ったことが無いのでよく分からないが、今は無くなってしまった渋谷や池袋の店と同様に、通ったことのある人にはたまらないものだろう。東京堂書店の店頭でも大プッシュされていたが、これこそ本好き・古本好きのためにあるような本だと思う。あー、愉しかった。

『スターメイカー』オラフ・ステープルドン ちくま文庫
浜口稔訳。著者独特の思弁とビジョンに彩られた、ある種、フィクションの極北とも言える作品。イギリスのある町から精神の飛翔を遂げた「わたし」は、想像力による時空を超えた旅により、この宇宙のすべてを創り出した創造主/スターメイカーの姿を求めて何処までも飛んでゆく……。
語り手である「わたし」を除いては個人が出てこず、一切の会話もないまま、ただひたすら諸世界の進化の歴史が淡々と綴られるというのがなんともはや。物語としてはぎりぎり成立するかどうかの瀬戸際だと思う。国書刊行会からでたハードカバーの元版を全面的に見直したものだそうで、ついこの間のような気がしていたのに、2004年だからもう17年前になるようだ。『オッド・ジョン』や『シリウス』は読んでいたのに、なぜその時に読まなかったんだろうと思う。むしろそれらの作品のイメージが強くて「地味なSF」という捉え方をしていたのかも知れないが、でも一方で『アルクトゥールスへの旅』とか読んでいた筈なんだけどなあ。
〈別地球〉へと到着とその星の描写はスウィフト『ガリバー旅行記』を彷彿とさせる。その後、異世界の人類と精神的な融合をはたして、より高次な存在(「わたしたち」)へと変貌を遂げた主人公は、さまざまな世界を遍歴する。甲殻人類と魚状人類が共生関係にある世界や、小さな鳥のような生物が群体となってひとつの知性を形作る世界、さらには昆虫の集団知性や、移動能力を得て"動物化"した植物生命体などなど、奇怪な生物と彼らが作る社会制度はレムの〈泰平ヨン〉シリーズを連想した。後半になるとさらに物語は広がり、「共同参与的精神」へと変化を遂げた「わたしたち」は、個人から世界-精神、世界-精神から銀河精神、そしてさらにコスモス的精神(銀河宇宙をまたにかけた精神体)へと進化を続ける。恒星や惑星、そしてその世界に棲む小さな生命体の全てからなる銀河精神は、全体が豊かな調和を成し、より優れた知覚者へと目覚めることでさらに大きな共同参与的精神(コスモス的精神)を作り上げていく。(このあたり、ヘーゲルの世界精神をイメージしているような気がしないでもない。)オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』を思わせる思考実験は、読み進めるのに力はいるがなかなか刺激的だ。
そしてついに「スターメイカー」は語り手自身の中に、思索する小さな生命を作り上げたものとして、また、絶対的神霊の永遠に達成された完成体として、相反する二つの相を同時にもって姿を現し、宇宙の始まりから終わりまでの円環が示される……。ゾロアスター教やインド神話的なところもあって、キリスト教的な神学からはかなりはみだす創造主ではあるが、アーサー・C・クラークにも共通する神秘思想のイマジネーションを堪能することが出来た。読み終わったあと、この世に戻ってくるのに少し時間がかかるのが玉に瑕だ(笑)。

『残月記』小田雅久仁 双葉社
『増大派に告ぐ』で2009年に第21回日本ファンタジーノベル大賞して以来、三冊目の本となる。雑誌への掲載はあるけれど、ずいぶんと寡作な作家さんだ。でもこれまでに出た本はどれも傑作(というか、いつまでも心に引っかかる無二の作品)だったので、これも刊行を知ってからずっと楽しみにしていた。
読んだ印象としては、『増大派に告ぐ』のひりひり感から『本にだって雄と雌があります』の豊穣を経て、さらに円熟味が増した感じ。陰影とか切なさとか、さらに細部の焦点がくっきりとして、物語を心ゆくまで味わうことができた。(これまで読んだ本で同じような感覚をもつ作品というと、池上永一『ぼくのキャノン』や真藤順丈『宝島』、それに西崎憲『飛行士と東京の雨の森』所載の「理想的な月の写真」などが思い浮かぶ。)
本書には二つの短篇とひとつの中篇が収録されている。いずれも何かしらの形で月の暗黒面、或いは幽冥の月とでもいうべきものが関わってくる物語で、「極上の恋愛小説」みたいな陳腐な言葉は使いたくないが、決して無くしたくない大切なものを描かせたらほんとうに巧いと思う。個人的には中篇の表題作が圧倒的な書き込みで読ませるが、「そして月がふりかえる」のラストや「月景石」のどちらに転ぶか分からない不安定感も好きだ。いつかジョナサン・キャロルのようなごつくて暗い物語も書いてもらいたい気がする。

『小鳥たち』アナ・マリア・マトゥー 東宣出版
宇野和美訳。 2010年にセルバンテス賞を受賞作した、二十世紀スペインを代表する作家のひとりということだが、恥ずかしながらこれまでまったく知らなかった。それもそのはず、これまで邦訳されたのは児童文学ニ作品を除くと単行本一冊しかないらしい。「リリカルで詩的なリアリズムに空想と幻想が美しく混じりあう」とのふれこみに惹かれて読んでみたが、期待にたがわず素晴らしい本だった。
本書は副題に「マトゥーテ短篇選」とあるように、彼女の著作のいくつかから、全部で二十一篇の掌篇を選んだ日本オリジナルの作品集となっている。〈はじめて出逢う世界のおはなし〉シリーズの一冊なのだけれど、正直いって子どもの頃に本書を読んだら、ある種のトラウマになったかも知れない。収録されているのは、そんな風につらくて哀しくて美しくて、そして心に沁みる物語ばかり。誤解を恐れずに言えば、イサク・ディネーセンの作品に近い香りがした。本邦では小川未明の童話に通じる残酷さを持つ。
どれも一読の価値があると思うが、そのなかでも特に気に入ったのを選ぶとすれば「小鳥たち」「メルキオール王」「島」「枯れ枝」「店の者たち」「月」あたりだろうか。とりわけ「島」や「月」で描かれる幻想の美しさは格別だ。
余談だが、訳者の宇野和美氏の名前にどこか見覚えがあるとおもったら、先日読んだグアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』を訳された方だった。あちらは現代メキシコを代表する作家だったので、あれっ?と思ったのだが、よく考えると同じスペイン語圏だからおかしくはない。そしてもしかしたらこの方の選書は自分の好みにすごく合うような気がしてきた。アンドレス・バルバ『きらめく共和国』も読んでみようかしらん。

『旅する小舟』ペーター・ヴァン・デン・エンデ 求龍堂
文字による説明がまったく無い、60枚あまりの白黒の絵で構成された幻想的な物語。どこか別の世界の太平洋で海に浮かべられた折紙の小舟が、熱帯魚の海やマングローブの林や南極海、工業に犯された死の海などを経て、もうひとつの欧州の港町へと辿り着くまでを、極めて精密な筆致で描き切った大作。本当の意味での「異界」を描くのは、大変な想像力と、それに見合うだけの腕がないと無理だけれど、この著者にはどちらもが備わっている。この本に感じる不気味さの正体は、(画面の昏さだけではなくて、)この世とは異なる別の「道理」が透けて見える辺りにあるのではないかと感じた。ゴーリーにも通じるユーモアも含め、この謎めいた物語をたいへん気に入った。

『SFマンガ傑作選』福井健太/編 創元SF文庫
1970年から80年までの間に発表された、著名な漫画家たちの埋もれた名作や有名作を一人ひとつずつ選んだアンソロジー。手塚治虫や萩尾望都といった大御所の作品や、諸星大二郎に高橋葉介といった渋めのところも収録されているが、藤子・F・不二雄や永井豪などは抜けていたりして、そのあたりが逆に本書の味になっている気がする。収録作は14作にものぼり、さらに巻末には30ページ以上もの戦前から2010年代までのSFマンガ史も載っていて、たいへんに読み応えがある。(もっとも90年代から先はほぼ知らない作品ばかりだったが。)
個人的に好かったのは萩尾望都「あそび玉」、諸星大二郎「生物都市」、佐々木淳子「リディアの住む時に…」、高橋葉介「ミルクがねじを回す時」、水樹和佳子「樹魔」、星野之宣「残像」あたりだろうか。初めて読むものから何度も読み返した懐かしいものまで、バラエティにとんだラインナップが愉しかった。ころで、自分は少女漫画として描かれたSF漫画をほとんど読んでこなかったのだが、本書を読んで何となくその理由が分かったような気がする。家が男兄弟だったせいで子どもの頃に少女漫画に触れる機会が無かったのはもちろん大きいのだけれど、大学生になってもあまり食指が動かなかったのは、◯◯星や超能力、タイムマシンといったSFのガジェットを臆面もなく出されるのが、ちょっと照れくさかったのではないか。ブラッドベリは幻想系の作品は好きだけれど、いわゆるSFの体裁をとった小説は「金星に降る雨」とか、妙に甘ったるいところが正直あまり好きではなかったりする。それに近いのかも知れない。竹宮惠子や山田ミネコの作品を今回読んで思ったのは、そんなことだった。(今ではどれも愉しく読めた。)
若い人にとっては過去の明作に触れる良い機会であるとともに、少し年齢のいった人にはちょっとしたセンチメンタルジャーニー気分も味わえる一冊ではないかと思う。もしも続編が出るのであれば、次は藤子・F・不二雄、永井豪、吾妻ひでおあたりも加えてもらえると嬉しいかな。

『宗教図像学入門』中村圭志 中公新書
「宗教」に「図像」とくれば、例えば本を左手に持っている聖人は誰か?みたいな本かと思ったのだけれど、ぜんぜん違った。キリスト教、イスラム教、仏教といった代表的な世界宗教だけでなく、ジャイナ教やシク教(シーク教)、ゾロアスター教に果ては儒教や道教、古代エジプトやアステカまで、古今東西の様々な宗教を一堂に並べて宗教観や死生観などを解説した図説のような本だった。著者によるあとがき(「おわりに」)を読んでもたしかに「宗教とは論理と感性が絡み合う形で成立している文化であることをイメージトリップを通じて理解していただくのが本書の目的だ」と書いてある。
内容はとにかく広く浅くいろんな宗教図像を紹介する気概に満ちている。ひとつの章をひとつの宗教に絞ったりせず、開祖と聖人、多神教の神々、儀礼や修行の様子、聖地や異郷といったテーマ毎に複数の宗教やローカル信仰を片っ端から紹介する方式をとっているので、なんとなく「驚安の殿堂ドン・キホーテ」の陳列を見ているようだ。あるいは目移りするような数のスィーツが並んでいるケーキバイキングか。9割がたは既に知っている話だったので個人的にはさほど新鮮味はなかったが、これだけまとめて並べられるとさすがに壮観だし、説明もとても分かりやすいので、知っていても愉しめた。宗教図像のハンドブックとしてか、あるいは宗教学の入門書として気軽に読めるのがいいと思う。

2021年10月の読了本

10月は祝日が無かったり、久方ぶりの読書会をやったりであまり本が読めなかった。11月はどうだろうかね。

『やんごとなき読者』アラン・ベネット 白水Uブックス
市川恵里訳。もしもエリザベス女王が読書の魅力に取り憑かれたら……という架空の設定に基づいて書かれた中篇小説。ふとしたきっかけで本を読む愉しさに目覚めた女王が、侍従たちを困らせつつ、優雅ではあるが空虚な象徴的存在から、徐々にひとりの人間としての意識に目覚めていく過程が、チャーミングで可笑しくてとても好い。
自らを「晩学の徒(オプシマス)」と呼ぶ女王は、「本は読者がだれであるかも、人がそれを読むかどうかも気にしない。すべての読者は、彼女を含めて平等である。文学とはひとつの共和国なのだ」ということに気づき、彼女が「あまり知的でない」ことを望む周囲の軋轢をものともせず、やがてある結論へと至る。
それにしても英国については、いろいろと問題を抱えてはいるが、こういう作品が世に出てベストセラーなるところをみると、やはりさすがだなあと感心してしまう。市民文化の厚みが違うのだろうか。すべての本好きな人におすすめしたい本だ。

『須永朝彦小説選』山尾悠子編 ちくま文庫
今年の五月に亡くなった著者の小説作品より、代表作『就眠儀式』『天使』『悪霊の館』から〈聖家族〉シリーズをはじめとする単行本未収録作品まで、幅広く選んで収録した傑作選。巻末の「編者の言葉」によると、短歌は塚本邦雄に師事し、古今東西の書物に耽溺しつつ中井英夫や種村季弘らと交流、あるいは三島由紀夫や澁澤龍彦による「異端と耽美と幻想」の文芸ムーブメントに影響を受けるなど、まさに自分好みの人だった。本書に収録された作品はいずれも当時の性の禁忌と死と欺瞞に彩られ、甘美でありながら凄惨な世界が広がっている。いい意味での「軽さ」と同時に、魔界へと振り切ったような強さを感じる。赤江瀑ともまた違った妖しい薫りを放つ。陽光の下では暮らせない読者のためにある物語群だ。
特に好かったものを挙げるとするなら、「神聖羅馬帝国」「森の彼方の地」「天使Ⅲ」「聖家族Ⅱ」あたりだろうか。江戸川乱歩と谷崎潤一郎、佐藤春夫らが一堂に会する架空対談「青い箱と銀色のお化け」もすこぶる愉しかった。血と薔薇や耽美と幻想が好きな人なら絶対に買っておくべき本だと思う。いろんなことがタイミングよく合わさって出た奇跡のような本だから。後になって「買っておけば良かった」と思っても、もう遅い。

『偶然の聖地』宮内悠介 講談社文庫
元は講談社月刊PR誌『IN☆POCKET』に連載されたとのことで、これまでの作品の緻密さとはまた違う奔放な感じがよかった。「偶然でなければ辿り着けないイシュクト山」というのを読んだ瞬間に頭に浮かんだのはドマール『類推の山』だったけれど、読み始めるとプロットがもっと複雑。雰囲気はちょっと山田正紀『地球・精神分析記録』を連想させるところもあり、突如始まるメタフィクション的な展開に戸惑うが、実はそれがラストの大仕掛けの伏線だったりする。(途中から出てくる世界律の「バグ」と、それを正そうとする「世界医」というのがかっこいい。)
読み終わってみれば、イシュクト山は類推の山というより、水木しげる『墓場鬼太郎』に出てくる「ブリガドーン」に近いものだった。作中でブリガドーンとは、ある種の気象条件が揃った時に出現する現象と説明されている。白い霧に覆われたその内部には、たまたま遭遇した人間によって「妖怪」と名付けられた奇怪な生き物たちが棲息し、この世とあの世の狭間に虚ろいつつ存在する現象なのだ。全編に註釈の形で著者のエッセイか解説らしきものが挿入されたりと、かなり不思議な構成になっているが、なかなかどうしてしっかりしたSFになっている。それまでの世界がひっくり返る感覚って、SFのおもしろさの中でもかなり上位にくるものだと思うので満足だった。

『詐欺師の楽園』ヴォルフガング・ヒルデスハイマー 白水Uブックス
小島衛 訳。バルカン半島にあるとされる架空の小国プロチェゴヴィーナ公国を舞台に、実在しない民族画家アヤクス・マズュルカの絵画を描いて国家規模のビジネスを作り上げた男ローベルト・ギスカール。その贋作者をおじに持つ「わたし」が、自らの半生とともにおじの消息を語るという、隅から隅まで「詐欺(ぺてん)」だらけの物語だ。レオ・ペルッツや佐藤亜紀を連想させるような密度の濃い幻想歴史小説になっていて、二重三重に張られた仕掛けがすこぶる愉しい。こういうのは細かいことを気にせず、がんがん読んでいくのがいいね。最初のうちは聞き慣れない東欧系の名前ばかりで戸惑ったが、50ページ付近から俄然おもしろくなり、あとは一気だった。

『ポリフォニック・イリュージョン』飛浩隆 河出文庫
2018年に出た同題の小説および批評集成から、前半の小説部分を文庫化してボーナストラックを追加したもの。SFマガジンデビュー作である1982年の表題作から、1988年齢の「星窓」までの初期短篇が6篇と追加の掌編5つが収録されている。以前からSF小説の「SFらしさ」とは何かと考えてきて、「科学にも通じるような(主に論理性などの)思考方法を背後に感じさせる小説」なのではないかとぼんやり思っているのだけれど、この著者の作品は特にそういったにおいが強い気がする。そう思いながら読んでいると、当初ファン出版として出された「著者による解題」で、ご本人が違う言葉を使ってそれと思しきことを表現されていた。もうひとつ感じたのは、「飛浩隆は最初から飛浩隆だった」ということ。収録作の中では「いとしのジェリイ」と「星窓」が特に好きなのだけれど、こうして過去の作品を読み返してみると、自分の好きな要素が初期作品からすでに描かれていることが判って納得してしまった。積んであるハードカバーで残りの部分も読んでしまわなくては。

『霊魂の足』角田喜久雄 創元推理文庫
戦後間もない時代に本格推理小説の幕開けを飾った〈加賀美捜査一課長〉シリーズの全七篇を収録した短篇集。末尾に収められた著者によるエッセイ「加賀美の帰国」によれば、加賀美課長はシムノンのメグレ警部をモデルにしたとのこと。表題作の題名からもっとおどろおどろした作品を想像していたのだけれど、まったく違っていた。街でふと見かけた奇妙な行動が後で意味を成すという展開は、北村薫らにより一世を風靡した〈日常の謎〉の一連の作品を思わせるところもある。謎解きも素直で人情味もあって、最後まで気持ちよく読むことができた。ミステリとして好かったのは「緑亭の首吊男」「怪奇を抱く壁」と表題作「霊魂の足」あたりか。つい凝った作品に食指が動きがちだけれど、気軽に読めるミステリも悪くない。

『象の旅』ジョゼ・サラマーゴ 書肆侃侃房
木下眞穂訳。1998年にポルトガル語圏で初めて(そして現在でも唯一の)ノーベル文学賞を受賞した著者が最晩年に記した長篇小説。1551年にポルトガル国王ジョアン三世からオーストリア大公マクシミリアン二世へ婚礼の祝いとして贈られたインド象ソロモンが、リスボンからイタリアや冬のアルプスを越え、最終目的地であるウイーンへと辿り着くまでの旅を描いたもので、なんと史実なのだそうだ。(ただし旅の記録は残されておらず、中身はほぼ著者による想像とのこと。)
一読した印象は、まさに融通無碍。幸田露伴が晩年に記した「幻談」や、あるいは澁澤龍彦の遺作となった『高丘親王航海記』を彷彿とさせる。架空の生き物や怪奇な現象の記述こそないが、旅の一部始終は淡い幻想と奇跡に彩られている。
また物語もさることながら、なにより語り口がユニーク。まずもって語り手の正体が誰なのか分からない。訳者あとがきによれば著者自身とのことだが、もしそうであれば語り手としてあまりにも表に出過ぎな気もする。現代から16世紀の過去を見通し、いわゆる神の視点で話の途中にいきなり割り込んできては、ひとくさり感想を述べて引っ込んでいく。エッセイとして読めなくもないが、情報に乏しく影が薄い。また会話文と地の文の区別はなく、全てが等列で読者の前に提供されている。前半はポルトガル軍の隊長の心理描写、後半は象遣いのスブッロ(フリッツ)による心理描写が多く描かれるなど、物語の視点は常にふらふらと揺れ動きながら著者自身の言葉とも溶け合い、その本来の世界から浮腫のように遊離して読者を不安定な心持ちにさせる。とてもユニークでおもしろい作品だと思う。さすがは『ガルヴェイアスの犬』のペイショットや『エルサレム』のタヴァレスが足掛かりとした「ジョゼ・サラマーゴ文学賞」を設立した人だけはある。
それにしても、このところポルトガル文学がよく紹介されるなあ。いいことだ。独特の抒情を持ったポルトガル文学をもっと読んでみたい。

昨夜みた夢 2021年(第344夜~第357夜)

しばらく夢を見ない(もしくは見ても忘れてしまった)日が続いて、「ここ最近夢を見ない」とつぶやいたところ、次の日からやたら見るようになった。不思議なものだ。もしくは自己暗示で夢を記憶するようになったのだろうか。

《神無月》

【第357夜】
災害に備えて部屋の中に仮想空間を開く。内部の階段やたいまつなどの備品を確認して一旦閉じる。
しばらくすると情報システムの連中が慌てている。聞くと、火球が削除出来なくてルームを閉じられないとのこと。アプリの相性のせいか、ときどきおかしくなるようだ。いざというとき困る。

【第356夜】
人事部長と一緒にビルに潜入する。警戒厳重だが隣家から駐車場に忍び込める。上に向かう途中、警報がなった。急ぎ屋上へと向かうが追っ手が迫る。背後から手が伸びた瞬間飛び降りる。空中で手足に膜が広がり、ムササビのように滑空する。スローモーションになり、BGMはスカイハイ。

【第355夜】
長い坂道を上ると工場で、「夜明けの猟亭」と描かれた看板がある。工場長が見学客をもてなすための施設だ。
着いたのは午前二時。灯の消えた門をくぐると暗闇に工場長が無言で立っている。会議室に案内され鹿肉のステーキを黙々と食べる。こんな時間まで大変な仕事だ。胃もたれしそう。

【第354夜】
バイカル湖の湖底には一億二千万年前の地層が眠り、白亜紀の生物群が腐敗せずそのまま沈んでいる可能性のあることが判った。潜って探すには、定時勤務と残業を分けてきちんと紐でしばり、梱包を湖に沈めなくてはいけない。

【第353夜】
組合のメンバーが学園祭の準備をしている。明日は出張なので早く帰りたいのだが、なかなか終わってくれない。皆んな一生懸命やっているので、営業部長、広報部長と一緒に仕方なく待つ。でもどうやらケリがついたようだ。古本の束を抱えて教室を出ると、もう9時だ。

【第352夜】
目覚ましが鳴った。先に起きていた妻が山頂湖まで行ってきたらしい。でも霧が出て何も見えなかったそうだ。仕方ないので散策は止めて、予定通り出勤することにする。

【第351夜】
岡本喜八に新作映画についてインタビューする。ミステリ映画なので『大誘拐』についても話を振るが、意外なことにあまり思い入れは無いらしい。煙草をやたらふかしている。
今日は仕方がないとしても、明日にはちゃんと答えてもらわないと、郷里の妹たちに食べさせるものが無いので困る。

【第350夜】
上司と出張に行く。打合せを終え、駅弁を買って 19:00発の新幹線で帰途に着く……
といった一連の出来事がビデオに撮られ、解説付きで放映されている。
「このコーヒーは千秋ブレンドという豆が使われていますね」芥川隆行の声が流れる。よくそんなことまで分かるものだと感心する。

【第349夜】
感染力の強い知り合いの親父がいるので、見つからないように高速バスも別々で帰る。こっそりチケットを買って発車間際の時間に滑り込むと、車内は立錐の余地もない。これなら感染リスクは同じでは無いか。名古屋まで立って帰るのか。うんざりする。

【第348夜】
読書会の司会。参加者に知久寿焼がいる。昨夜みた夢を訊いたところ、地球が「うぞぞぞ」と泣いていたと嬉しそう。他の参加者は少し引いている。休憩中に「夢の話はリターンがあるからあまりしない方が」と言われたので、レジュメを見せて安心させる。廊下では女性が大声で泣いている。

【第347夜】
さだまさしがいる。自分のベストアルバムをかけながら、順に曲の解説をしている。「あまやどり」の元になった短い曲の歌詞を眺めるが、譜面が読めないのでどんな曲なのか分からない。男が雨宿りしている歌のようだ。

【第346夜】
河沿いの護岸堤防の上を歩いている。進むにつれどんどん高くなる。コンクリの階段を降りると、足を載せる幅が5センチほどしかない。手すりを掴むとぐらぐらしている。危ないので戻ろうとした途端、土台ごと手すりが崩れ落ちる。指先でかろうじてぶら下がり、そろそろと身体を引き上げる。

【第345夜】
地元の文学賞創設について打合せ。国に叛旗を翻す方法を布団の上で議論する。たしか宮城県の事例があったはず。ジョン・アーヴィングの賞を創るとき、国へ返上したのを説明するが、郵便配達がどうでもいい意見を延々と喋り続ける。腹が立つが、周囲に同じ穴のムジナだと言われて我慢する。

【第344夜】
金色の蝙蝠は魔法的存在。詠唱文を確認したところ、詠唱は変えなくても対応できるようだ。黄金のトラウトと呼ばれる魚と一括りでやれるのはとても助かる。あとはルールを守って毎回きちんと詠みあげるのが、我々に課せられた使命。問題は詠唱文のなかに足場が確保できるかどうかだ。

2021年9月の読了本

読書の秋のはじまり。台風でどこにも行けないときなど読書がはかどるが、その分本を買ってしまうので全然減らない。(減らすつもりも無い。) でも国書刊行会などからハードカバーがまとめてたくさん出るのはちとつらいなあ。嬉しいけどね。

『刀』東雅夫編 ちくま文庫
かつて同文庫で刊行された〈文豪怪談傑作選〉は単一作家ごとにまとめた作品集だった。今回新しく始まった本シリーズは〈文豪怪談ライバルズ!〉と銘打ち、毎巻ひとつのテーマを決めて、そのテーマに沿った作品を古今の作家からひとり一作品ずつ選び出すという趣向。
赤江瀑や宮部みゆきなどの「今」の作家から、『播磨国風土記』や『平家物語』といった古典文学まで幅広く収録されていて、人殺しの道具である刀剣が本来持つ不気味さや、武功への欲望に取り憑かれた男たちの顛末など、様々な角度から「刀」の昏い魅力に焦点を当てている。とりわけ凄艶だったのは宮部みゆき「騒ぐ刀」、皆川博子「花の眉間尺」、加門七海「女切り」辺りだろうか。東郷隆「にっかり」も悪くない。また大河内常平「妖刀記」では、太平洋戦争時の日本を舞台にした探偵小説が展開されていて驚いた。中には井上靖「幽鬼」など、必ずしも「刀」が題材という訳ではないものも含まれているけれど、選び方に一本筋が通っているので、これはこれでアリだなと思う。
個人的にはやはり巻末に収録された泉鏡花の幻想譚「妖剣紀聞」が、金沢に実在した刀匠「非人清光」にまつわる美しくも妖しい物語で大変に好かった。かの名品「薬草取」を思い出しながら読んでいた。

『怪奇小説集 蜘蛛』遠藤周作 角川文庫
三島由紀夫がSF好きだったのは知っていたが、遠藤周作がホラー小説好きだとは寡聞にて知らなかった。過去の文学者はいわゆる「通俗小説」も気楽に手掛けていたようで、本書は彼が週刊新潮に連載した「周作恐怖譚」に、さらに四つの作品を増補した短篇集。以前、講談社文庫から出ていたが、長らく品切れとなっていたものの復刊だそうだ。中身は怪奇小説ばかりでなく、朝宮運河氏の解説にもあるように「奇妙な味」やサスペンス、グラン・ギニョルのような残酷劇などバラエティにとんでいる。
印象としては、小学生の頃に夢中になった楳図かずおの『恐怖』『怪』『呪いの館』といったホラー漫画の味わいに近い気がする。当時は不変的と思われたことが、今振り返ってみると、その時代の空気を色濃く反映していたことに気がつくことがあるが、本書もまさにそんな感じだった。
1960、70年代の小説で、特に当時の風俗や家庭環境について書かれたものを読んでいつも思うのは、当時は普通だと思っていたことが、今読むといかに偏った価値観だったかという事。男尊女卑であるとか、地方差別的な感覚とか、例えばそんな風なことだ。
特に中間小説誌の読者を想定した作品に出てくるのは、ごく一般的な暮らしぶりの人々が多く、「女は家庭で一家の大黒柱たる男を支える」といった生き方が当たり前のように内面化されているのが読んでいて結構つらい。ただ、逆にいえば、世の中はゆっくりではあっても良い方向に変わっているのだとも言えるかも知れない。
全部で十五の収録作品の中で特に気に入ったのは、実話怪談のはしりである「三つの幽霊」と、その後日譚の「わたしは見た」。それに、文学賞にまつわる奇怪な出来事を描いた「生きていた死者」あたりだろうか。文士劇のような「余技」どころではない、なかなか達者な筆が意外ではあったが、著者自身も愉しみながら書いている様子が伝わってきて、読んでいるこちらもちょっと嬉しくなった。

『開高健とオーパ!を歩く』菊池治男 河出書房新社
開高健の紀行物の代表作〈オーパ!シリーズ〉の旅に、掲載誌である月刊誌『PLAYBOY日本版』の編集者として同行した著者が、33年後に同じブラジルの地を辿る旅の記録。同様の趣向のものとしては、レヴィ=ストロースがブラジルを訪れて『悲しき熱帯』を書いてから50年後に、その足跡をたどった川田順造『悲しき熱帯の記憶』というのがある。しかし本書のポイントは、対象の地の変遷を記述する文化人類学的な視点には無い。著者が再訪するベレン、サンタレン、クイヤバ、ブラジリアと言った場所で頭に浮かぶのは、1977年当時の小説家であり、カメラマンや案内をかってくれた現地の日本人であり、そして若かった自分の姿だ。今では皆、物故者となり、自分もまた「癌サバイバー」となって変わり果てた姿で懐かしい地に立つ。目の前に広がる現在の光景を通して過去の記憶と対峙する様子は、まさしく本来の意味でのセンチメンタル・ジャーニーと言えるだろう。
企画が通ってから様々な準備を経て、2ヶ月にも亘る大旅行を無事に終え帰国するまでの記述、すなわち『オーパ!』には書かれていない裏話や小説家・開高健の横顔は、初めて読むものばかりで興味が尽きない。(それにしても菊池匡祐氏や高橋曻氏、谷口博之氏など開高健と旅を共にした人たちは、なぜ小説家についての思い出を書きたがるのだろうか。)
本書を読んだら、また『オーパ!』を再読したくなってしまった。

『むかしむかしあるところに死体がありました』青柳碧人 双葉文庫
一昨年にミステリ好きの話題をさらった短篇集の文庫化。一寸法師/花咲か爺さん/鶴の恩返し/浦島太郎/桃太郎といった五つの昔話を題材にして、それぞれ不在証明トリック/サスペンス/倒叙式の超絶技巧/密室殺人/孤島の連続殺人という違ったタイプのミステリに挑んたものでとても愉快。ミステリとしての詳細は今村昌弘氏の解説に語り尽くされているように思うので、自分は少し違う話をしてみたい。
読んでみてまず頭に浮かんだのは鯨統一郎氏のデビュー作『邪馬台国はどこですか?』だった。あちらは実際の歴史を元に推理を働かせた、ジョセフィン・テイ『時の娘』のようなタイプの小説だったが、ユーモアと破天荒な結論が持ち味。本書も、誰もが知っている設定を逆手に取って、突拍子もないラストになだれ込ませる腕前は大したものだ。
日本むかし話を題材にしたものとしては、自分はSFの方が馴染みが深い。かつて鶴書房という出版社から出ていた〈SFベストセラーズ〉という子ども向けの叢書があって、その中に小松左京『見えないものの影』という作品があった。そこに同時収録されていたのが「SF日本おとぎ話」というショート・ショート集だ。例えば浦島太郎を航時機で処理するアイデアなどは、それまで出会ったことが無いスマートさだった。最近では2018年にでた三方行成『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』が、やはり竹取物語からシンデレラ、白雪姫などを題材にして思い切り遊んでいて愉しかった。こういうのは勢いで読んでしまいたい。

『幻想童話名作選』東雅夫編 平凡社ライブラリー
〈文豪怪異小品集〉のシリーズの特別篇と銘打って、泉鏡花や内田百閒、江戸川乱歩に宮沢賢治などなど都合16名の文豪たちによる童話の数々を収録したアンソロジー。編者のお眼鏡にかなったものだけあって、これまであまり目にしたことのない、一癖も二癖もある幻妖な作品ばかりが集められている。中には谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」のように、子どもに本当に読めたのか疑問に思う作品もあるが、それらも含めて編集の才を愉しむことができた。どれもおもしろいのだが、個人的に特に気に入ったのは、内田百閒「桃太郎/三本足の獣/狼の魂」、小川未明「眠い町」、宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」、川路重之「山太郎」と言ったあたり。泉鏡花「海戦の余波」や夢野久作「ルルとミミ」などは、初めて読む人はかなり驚くに違いない。

『赤い魚の夫婦』グアダルーペ・ネッテル 現代書館
宇野和美訳。メキシコ在住の女性作家による短篇集。訳者あとがきによれば、スペインの文学賞である「リベラ・デル・ドゥエロ国際短編小説賞」を受賞しているとのこと。「語りの緊張感を保ちつつ不穏な雰囲気を醸しだし、質の高い散文が日常に潜む異常を浮き彫りにする」という、審査委員長のコメントがまさにぴったりくる。表題作の他、「ゴミ箱の中の戦争」「牝猫」「菌類」「北京の蛇」という全部で五つの短篇が収録されていて、それぞれに熱帯魚(ベタ)、ゴキブリ、猫といった生き物が象徴的に登場する。
メキシコと聞いてリャマサーレス『黄色い雨』やルルフォ『ペドロ・パラモ』のような魔術的リアリズムを想像していたのだけれど、それらよりはかなり現実寄りの物語だった。本書の印象をひと言で表すなら「切なさ」。よくあるような、はっきりした「悪」の色は存在せず、誰が悪いわけでもない「どうしようもない試練」と破局がただ描かれる。ここにある不条理は、ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』に出てくる現実の理不尽さに近いかも知れない。物語の中に沈思とグロテスクさが同居しているところに、英米文学に無い目新しさを感じたが、これもまた海外文学の豊潤な成果のひとつといえる。このような作品が日本語で読めるとは、何とありがたいことだろう。

東直子/佐藤弓生/千葉聡・編著『短歌タイムカプセル』(書肆侃侃房)読了。「一千年後に残したいと思う現代短歌を一冊のアンソロジーにまとめよう」というコンセプトで、戦後から2015年までに歌集を発表した人の中から115人を選び、代表作二十首と、さらにそのなかから一首を選んで鑑賞文を附したもの。収録はあいうえお順なので、新旧の歌人が入り交じって出てきておもしろい。
短歌には詳しくないため知らない人が殆どで、ひとりひとり鑑賞しながら自分の好みに合う歌とその作者を控えつつ読んでいたため、予想以上に時間がかかった。
当然ながら良い歌が目白押しなので、いちいち書き出していくとキリがない。そこで以下、特に気に入ったものをいくつかピックアップしてみたい。いやあ、好かった。
〈岡野大嗣〉   もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい
〈小島ゆかり〉  なにゆゑに自販機となり夜の街に立つてゐるのか使徒十二人
〈塚本邦雄〉   夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが
〈寺山修司〉   マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
〈早川志織〉   指さして子にものの名を言うときはそこにあるものみなうつくしき
〈フラワーしげる〉あなたが月とよんでいるものはここでは少年とよばれている
〈松村由利子〉  チューリップあっけらかんと明るくてごはんを食べるだけの恋ある

『西洋中世の愛と人格』阿部謹也 講談社学術文庫
長年、中世ヨーロッパの研究に打ち込んできた著者が、その視線を日本へと向けて、日本人の社会観を規定する「世間」の正体を逆照射しようとする試み。原本は1992年に朝日新聞社から『西洋中世の愛と人格 - 「世間」論序説』という題名で出されたもので、まだ論考が十分に練られたものにはなっていない。まずは日本社会と西洋社会の価値観の最も大きな違いと著者が考える、「個人」「人格」「愛」といった概念について、中世ヨーロッパにおける成り立ちの歴史を探ることで、明治期に急拵えで輸入されたこれらの価値観が日本では西洋社会と異なる文脈で扱われていることを示そうとしている。
あとがきで初めての試みであると述べているので、心配になってウィキペディアで確かめたところ、2005年には筑摩書房から『「世間」への旅 - 西洋中世から日本社会へ』という本が出されているので、その後も順調に考察が進められたようだ。
日本社会を規定する「世間」というものについては他にも何人かが取り上げていて、自分は同じ学術文庫から出ている井上 忠司『「世間体」の構造』の方が早かった。西洋世界におけるsocietyとは異なり、その訳語として明治期に作られた「社会」という言葉。そして実際に日本人の価値観を規定している「世間」というもの。そういった諸々を本書でも簡潔におさらいしつつ、著者がポイントと考えている「個人と人格」や、呪術的な人間関係を西洋から消し去る元になった「神判」、そして聖俗が相剋する「愛」という三つの概念について膨大な文献を渉猟しつつ掘り下げを進めていく。結局のところ、いずれにおいても絶対的な神という存在との対峙や告解による信仰の内面化こそが西洋社会の価値観を規定する元となったとのことだ。最終的な結論らしきところまでは到達できてはいないが、このあとどのような研究がなされていったのか期待がもてる内容だった。
ここ十数年の間に急速に広がってきた日本社会を覆う影については、これまで覆い隠されてきた「世間」が、SNSというメディアを通じて生身の姿で表に出てきたものなのではないか、という気がしている。それが日本的なポピュリズムの正体ではないかと。少し前の本ではあるが、今こそ読まれるべきタイミングなのかも知れない。

『瓶のなかの旅』開高健 河出文庫
著者の酒と煙草に関するエッセイから選んだ、文庫オリジナル編集の傑作選。すでに書籍の形で発行されているので、読んだおぼえがある話が殆どだけれど、のびのびとリラックスして書かれている文章を読んでいると、こちらものびのびしてくる。最初のうちは、昭和の男は「女」にこだわり過ぎなんじゃなかろうか、食べ物と酒がテーマの時には食べ物と酒の話をすれば良いのでは?と思っていたのだが、徐々に考えが変わってきた。戦前の価値観を引き摺りつつ焼け跡を経験して大人になった当時の男性にとって、本当の意味で自らを解放できるのは、酒か煙草か賭け事、もしくは「女」ぐらいしか無かったのかも知れないと。オタク的な文化が市民権を得て、禁煙が当たり前になり、そしてバーで痛飲することも無くなった大人たちの時代で良かった。著者の博識や慧眼を愉しみながら、そんなことを考えたりもした。
実は開高健の小説は常に気が張り詰めていて、ずっと読み続けていると心の芯の部分が疲れてくるところがある。けれども本書は氏が心を開いた対象ばかりを書き綴ったものなので、良い意味で隙があり、こちらも気楽にのびのびと読むことができた。長年に亘ってあちこちに書いてきたエッセイを集めたため、さすがに同じエピソードが繰り返し出てきてしまうが、それでも「一言半句」を心掛けた作家だけあって端々にさりげなくもはっとさせられる言葉があった。この生き急いだ作家が遺してくれたものに、良かれ悪しかれこれからも惹かれ続けるのだろうという、妙な確信だけはある。

『開高健の本棚』 河出書房新社
1989年に58歳で世を去った開高健の蔵書の写真と、本にまつわるエッセイを集めた本。書棚の写真は思ったより少なくて、編集あとがきによれば愛読書と思われるものを選んで紹介したためらしい。開高ファンとしては遺された蔵書を全部そのまま写してくれるだけの方がありがたかった気もするが、それでも貴重な写真の数々を十分堪能することができた。
書いている作品に影響を受けてしまうのが嫌で、文学の類は本を執筆中の期間は読まないようにしていたのを知っているので、ナチュラリストの本やスパイ小説が多いだろうとは予想していた。また、サルトル『嘔吐』やオーウェル『一九八四年』はあるだろうとも思っていた。しかし『伝奇集』や『幻獣辞典』『悪党列伝』といったボルヘスの本や、サンリオSF文庫のサキにブラッドベリ、あるいは江戸川乱歩、久生十蘭、夢野久作全集に小栗虫太郎、はてはボリス・ヴィアンといった、自分も好きな作家たちの本は意外だしとても嬉しかった。
収録されているエッセイは『言葉の落葉』『私の読書法』『白いページ』『食後の花束』『最後の晩餐』なとあちこちからとられているため、正直いうとどこかで読んだことのあるものが多い。(そのあたりの印象は、先日読んだ酒と煙草にまつわるエッセイを集めた『瓶のなかの旅』と同じ。)また谷岡永一および向井敏との対談『書斎のポ・ト・フ』や、本の紹介文をまとめた『今夜も眠れない』からの抜粋が多かったのも、自分からすると残念だった。
でもまあそうは言っても、出たらついつい買ってしまうのだった。没後32年にして、再編集版とはいえ今だに新刊がでるとは、まことありがたいことだよなあ。
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舞狂小鬼

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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