『死の鳥』ハーラン・エリスン ハヤカワ文庫

※『死の鳥』収録作品の内容に触れていますので、未読の方はご注意ください。

 伝説的な作家ハーラン・エリスンによる、長年待ちに待った新しい短篇集だ。学生時代に『世界の中心で愛を叫んだけもの』(1973年にハヤカワSFシリーズから刊行、79年に文庫化)を読んで以来、各種アンソロジーや傑作選でときおり目にすることはあっても、このようにまとまった形で読むのは本当に久しぶり。しかも全篇が本邦へのエリスン紹介の第一人者である伊藤典夫氏訳による日本オリジナル編集とあって、まるでハーラン・エリスン傑作集の趣きさえある。収録された10の短篇はどれも粒よりのものばかりだ。
 彼の作風を評して「ウルトラヴァイオレンス」という形容があるが、たしかに彼の作品には凄惨な暴力シーンが多く、その手の描写が苦手な人にはちときついかもしれない。しかし虐げられし者たちからの視点による物語はどれも一読の価値があるといえるだろう。彼の作品の多くは「クライム・ノベル」あるいは「ピカレスク・ロマン」の範疇に入るものが多い。そしてそこで描かれる暴力とは、この世界で疎外され虐げられている者たちが感じる「痛み」に他ならないとも思える。

 話は変わるが、エリスンと同様に読むのがつらい作品を書く作家としては、アンナ・カヴァンやジェイムズ・ティプトリィJrなどが挙げられると思う。ただし彼らの暴力性の発露はエリスンも含めそれぞれ違う形を示している気がする。しごく乱暴な言い方をすれば、例えばカヴァンの場合は痛みが語り手自身へと向かい自傷の形を示すのに対して、ティプトリィの場合は語り手が冷徹な記録係に徹することで一切の感情を殺しているようにも見える。ここではあまり深入りすることはしないが、個人的には作者の作家としての根源的な部分に関わるものではないかと思っている。一方でエリスンの場合、語り手が感じる痛みは裏返しとなってそのまま外の世界へとはね返される。ある意味彼の描く暴力は世界に対する異議申し立てであり、その点では極めて政治的な側面を持つともいえるだろう。

 以上、ごちゃごちゃと書いたが、エリスンの小説は物語としてももちろん面白い。アクションはたっぷり、スリラーや謎解きの要素もたっぷりで、流れるような文体と鮮烈なビジュアルイメージは脳裏に強烈な印象を残す。なお凝った文体や作品の複雑な構成、それにアンソロジー『危険なビジョン』の編集といった活動内容からしてエリスンは「ニューウェーブSF作家」の印象が強かったが、今回あらためて題材を見てみると意外とオーソドックスなものが多いので驚いた。本書でも「バットマン」に出てくる悪役ジョーカーのような怪人や切り裂きジャック、クトゥルフを思わせるような邪神にフランケンシュタイン、それに狼男とパルプ小説やホラー映画でおなじみのキャラクターが多く登場する。「ジェフティは五つ」ほどあからさまな作品でなくても、懐古的な視点でみることが可能だろう。このあたりはゼラズニイとも似た部分があるかも知れない。
 作中で主人公たちは自らのアイデンティティをかけて世界への異議申し立て(であるところの暴力)と、救済を求める心の叫びを上げる。しかし彼らの願いが必ずしも叶えられるわけではなく、また彼らもそれを期待しているわけでもない。エリスン作品はそんなところがたまらなく格好いい。そしてだからこそ余計に、作中で示される思いがけぬ「救済」が読むものの心を打つのだ。

 ちなみに本書の中から個人的にベストを選ぶとするなら、「死の鳥」と「北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中」の二作になるだろうか。とてもどちらか一方に決めることはできそうにない。ざっとお気に入りの作品を挙げていくだけでも半分以上の名前が挙がるわけだし。解説で高橋良平氏が書かれているように、まだまだ訳されていないエリスンの作品は多いので、ぜひ本書をきっかけにして再評価が進み、日本でもさらに多くの作品集が刊行されて欲しいと切に願う。
これからエリスンを読める人は幸いである。

【収録作】
「「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった」
「竜討つものにまぼろしを」
「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」
「プリティ・マギー・マネー・アイズ」
「世界の縁にたつ都市をさまよう者」
「死の鳥」
「鞭打たれた犬たちのうめき」
「北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中」
「ジェフティは五つ」
「ソフト・モンキー」

<追記>
 以上が本のレビュー投稿サイト「シミルボン」に投稿した内容である。ひょんなことからシミルボンに投稿することになったので、これからもSF関連の書籍については両方に記事をアップすることになると思う。追記として本書の作品のなかで個人的なベストを選んでみたい。まずは本文中にも書いたように「死の鳥」と「ランゲルハンス島沖を漂流中」が同率首位をキープ。次いで第3位以降は「ソフト・モンキー」「世界の縁にたつ都市をさまよう者」「「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった」といった順位で続く。(次点は「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」と「鞭打たれた犬たちのうめき」。「鞭打たれた犬...」がファンタジーではなくミステリ系の賞であるエドガー賞を受賞しているのにはちょっと驚いた。ちなみにこの手の話では自分が好きなのは『世界の中心で愛を叫んだけもの』に収録されている「ガラスの小鬼が砕けるように」である。)
 扶桑社版の短篇集『死の鳥』が刊行されなかったのはかえすがえすも残念なことではあるが、もしもその結果として日本オリジナル編集の本書が生まれたと言えるのなら、それはそれで喜ばしいことかもしれない。解説で高橋氏が述べているように、今年は若島正氏の編纂によるエリスンの犯罪小説短篇集が国書刊行会から刊行予定とのこと。まだまだ楽しみは続きそうだ。

第6回名古屋SF読書会レポート

  ※遅くなってしまい申し訳ありませんが、さる7月30日(土)に開催された読書会について
    レポートをまとめました。バリントン・J・ベイリー『カエアンの聖衣』の内容に触れ
    ていますので、未読の方はご注意ください。

 名古屋SF読書会も早や第6回を数えるまでになった。今回の課題本はアニメ『キルラキル』の元ネタになったとして、アニメ放映時に話題になったバリントン・J・ベイリーの『カエアンの聖衣』。刊行当時は「ワイドスクリーン・バロック」と呼ばれる一群の小説の代表作として一部マニアの間で話題になったが、その後、絶版となって長らく入手困難となっていたものだ。このたび目出度く大森望氏の新訳で復刊が叶ったのを記念して、課題本に選ばれた。かなり癖のある作品だけに、SFを読み慣れていない人も多く参加するこの読書会でどのような意見が出るか、興味深くもちょっと怖くもある。(笑)
 ツイッターやフェイスブックで告知をしたところ、申し込みの出足は早かったが、ある程度のところでぴたっと止まってしまった。うーむ、やはり古典的な有名作と違ってファンの食いつきはいいが広く興味をそそるものではないのか?面白いのになあ......。(しかし最終的にはスタッフも入れて30名弱となり、丁度しゃべりやすいくらいの人数になったので、このような作品には却って良かったかも知れない。)

 読書会の前半はいつものように3つのテーブルに分かれ、ホワイトボードに書きながらのグループ協議。そして休憩を挟んだ後半は、ホワイトボードをずらりと前に並べて全員で各グループの意見の確認と質疑応答を行うという、いつものパターンで進めた。
 前半の部は自分の班は9名。まずは各自が順番に感想を述べ合い、その後、疑問点や意見を交わすのだが、旧版刊行当時に読んだというSFファンの人と、今回新訳で初めて読んだという人が入り混じるのでなかなか面白い。さらには翻訳家の中村融氏が加わっていただけたので、「ワードスクリーン・バロック(*)」が日本に紹介された時のエピソードや、ベイリーについてとても興味深い話が聞けたのは良かった。
 なにしろベイリーは奇想天外なアイデアがウリの作家。本書もまともな人物が出てこないアクの強い作品なので初読の人にどのように受け入れられるか不安だったのだが、その点は杞憂だった。自分の班では初読・再読関係なく概ね好評で、「まともな登場人物が出てこない(笑)」と言われつつ、みなさん結構愉しんでいただけたようだ。

   *…SF作家のブライアン・W・オールディスが著書『十億年の宴』で、ある種の
      SF作品に対して名付けた名称。彼はアルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ
      !』について「絢爛豪華な風景と、劇的場面と、可能性からの飛躍に満ち
      た、自由奔放な宇宙冒険物」(P284)と呼んだ。同じような傾向の作品を書く
      作家として、他にはA・E・ヴァン・ヴォークトや、チャールズ・L・ハーネス、
      クリス・ボイスなどがいる。

 グループの中で出た意見で印象的だったのは、人物の描き方が表面的だという指摘。これはベイリー作品の本質にも関わるところだと思う。突拍子もない奇想天外なアイデアを惜しげもなく大量に投入して読者を煙に巻く、あるいは異様な宇宙やいびつな社会を描いて気味悪くも蠱惑的な世界に読者を招待する、そんなところが魅力であるワイドスクリーン・バロックは、その反面、キャラクターが物語を進める上での道具でしかなく、いわゆる「文学的な深み」に欠けるという弱点を持つ。代表格であるベイリーはまさにそういった形容がぴったりくる作家ではないだろうか。(注:これはもちろんベイリーがSF作家として優れていないということではない。)
 ちなみに中村融氏からは「ベイリーは小説がへた」という身も蓋もないご意見を頂戴した。(笑)本書にはリアルド・マストを始めとする3人組のギャングが登場するのだが、この3人の書き分けが出来ておらず区別がつかないという話から、旧訳の翻訳を担当した冬川亘氏はひとりの人物を関西弁にするという荒業に出たというエピソードまでご紹介いただき、みな驚く。なるほど、旧作では主人公の服飾家ペデル・フォバースが自分のことを「あたし」と呼ぶなど優男(?)ぶりが目立っていたように思えたのだが、それも訳者の工夫だったわけか。
 皆がこぞって褒めていたのは、インフラサウンドを武器に戦う生物や蠅の惑星の異様な生物たち、ヤクーサ・ボンズとソヴィア人、カエアン人たちの異質な世界、そして何と言ってもフラショナルスーツに秘められたおそるべき力と隠された秘密など、次から次へと投入される豪華絢爛なアイデアの数々だ。すごいアイデアに圧倒されながら続きを読んでいくとそれっきり出てこなくて、「これで終わりかよ!」の繰り返しだったという方もいたが、本書では最終的には設定がきちんと辻褄を合せた形で収束しているのも、(ベイリーには珍しく/笑)小説としての完成度が高くて好印象だったようだ。
 最初に旧訳版に読んだときには蠅の惑星やヤクーサ・ボンズの印象が強烈に残っていたのだが、今回再読してみて、それらのパートの分量が記憶よりもはるかに少なかったことが意外だった。逆に言えばそれほど強く記憶に残ったということであり、初読の人はあれをどのように感じたのか訊いてみれば良かったのだが、つい聞きそびれてしまった。学生時代は仲間内でかなり話題になったのだが。(他に印象に残ったシーンとしては、惑星プロッシムに“フラショナルスーツの花”が咲くところを挙げておられる方が何人かいた。)
 なお、なぜ本書に日本人(の末裔)が出てくるのか?という疑問に対しては、ヤクーサ・ボンズが裸であることから当時イギリスで人気のあったスモウレスラーと歴史上の僧兵のイメージを重ねたのではないかという意見があったことを付け加えておきたい。これも中村氏の情報によれば、当時のイギリスでは日本ブームがあったということらしい。

 ひととおりの感想が出尽くしたところで、中村氏から参加者への特別サービスの話題提供があった。日本においてワイドスクリーン・バロックがどのように紹介されてきたかについて、1978年刊の「SF兵器カタログ」というムックまで遡って繙いていくというもので、知らなかったことが次々出てきてとても面白い。(**)

  **…中村融氏には他にも「ベイリーは自分がダメ人間なので作品にもダメ人間をよく
       登場させる。結果的にアンチヒーローを描くことになる」とか「ベイリーは蟹が
       好きだが、それは“硬いものの中に柔らかいものが詰まっている”というセルフ
       イメージから」といった、とても面白い話を聞かせていただけた。

 休憩が終わってからはホワイトボードを前にして、各グループからの報告と全員による質疑応答の時間。「少年JUMPの漫画みたい」とか「“服”は自然に反して人間が作り出した“価値”を体現するものであり、ひとつの文化を背負うものである」、あるいは「服を着るカエアン人と服に着られるザイオード人」などといったなかなか示唆に富んだ指摘が出たが、総じていうとやはり「ヘンテコで面白い話だなあ」という感じだったのではないだろうか。
 自分としては、大好きな作家の大好きな作品がdisられることなく好評を博したので正直ホッとした。(笑)『キルラキル』効果なのだろうか、どうやら本書の売れ行きが良かったのか11月には新しい短篇集『ゴッド・ガン』が出るらしいし、ベイリーファンとしては喜ばしい限りだ。

<追記>
 次回、第7回の名古屋SFシンポジウムも予定が決まった。期日は11月23日(水・祝)で、課題本はスタニスワフ・レムの名作『ソラリス』(ハヤカワ文庫)。ロシア語版からの重訳で一部が省略されている『ソラリスの陽のもとに』ではなく、ポーランド語版からの原典訳版なので、これまで読んだことのある人もまた違う印象を持つのではないかと、参加者の皆さんの感想をお聞きするのが今から楽しみで仕方ない。

2016年8月の読了本

 親の介護の話は兄貴と協力しながら徐々に進めている。残りの余暇についても、7月は読書会、8月はSFシンポジウムの対応で時間をつかったこともあり読書はなかなか厳しい状況が続いている。(でも読書会とシンポジウムは準備の甲斐あってとても充実したものになったので良しとしよう。)
 さてそんなわけで今月も読めたのはたったの2冊。時間が取れない分、選書にはこれまで以上に気を遣っているので、どちらも面白い本だった。(しかしこのペースだと、ストレス解消のために買う量が増えているのと相まって、本が溜まっていくなあ。どうしよう。/苦笑)

『怪談四代記』小泉凡 講談社文庫
 副題は「八雲のいたずら」。小泉八雲の曾孫にあたる民俗学者が、八雲に関するエピソードを語るエッセイ。八雲に関わる世界各地の人々との交流や、それにまつわる不思議な体験の思い出がとても面白い。そして図らずも、優れた小泉八雲論にもなっている。八雲の足跡を辿る著者自身の旅行記も面白いのだが、ところどころに挿入される曾祖父・小泉八雲やその息子(著者の祖父)である民俗学者・小泉一雄の著書からの引用がまた愉しい。(八雲:『明治日本の面影』、一雄:『父「八雲」を憶ふ』など)本書を読んでいるうち、それらの本も読みたくなってきた。こうしてまた読みたい本が増えていくのだ。(笑)

『魔法の夜』スティーヴン・ミルハウザー 白水社
 ローラにハヴァストロー 、クーパーやダニーにリンダ、そしてショーウィンドウのマネキンたち……。老若男女、人生の憂さに身を焦がし、満たされぬ思いを抱える全ての者たちの上に、月の光と夜の声による魔法の夜が訪れる。心に残る佳作。
 ミルハウザーは面白いのだが何となく腑に落ちないところがあって、それほど良い読者ではない。でもこの本はとても面白く読み終えることが出来た。自分が大好きなジョン・クロウリー『リトル・ビッグ』もそうだが、直接言葉にできないものを様々な描写の積み重ねで徐々に暗示していく話が好きだ。

2016年7月の読了本

『カエアンの聖衣〔新訳版〕』バリントン・J・ベイリー ハヤカワ文庫
 大学時代におおいにハマったSF作家B・J・ベイリーの目くるめく奇想小説。長らく入手困難な状態が続いていたが、ようやく大森望氏による新訳版が出て再読することが出来た。(とはいっても買ってからしばらく積んであったのだが。/苦笑)内容は「ワイドスクリーン・バロックの代表作」という名に恥じない奔放かつ奇怪な物語。謎が謎を呼ぶ服飾家ペデルのパートと、まるでガリヴァー旅行記のように異世界と著者お得意の疑似科学が炸裂する文明学者アマラのパートが交互に描かれ、やがて渾然となって驚くべきラストに収斂する。
 本書はベイリーの作品の中でも特に気に入っているもので、旧版は何度読んだかわからないほど。今回読み返してもやはり傑作の印象は揺るがなかった。ベイリー作品は、思弁小説の極北ともいえるスタニスワフ・レムとはまた違った意味で、SFのもつ醍醐味とわくわく感の一体という理想的な姿を体現しているのかも知れない。キャラクターの扱いは徹底してドライで、ただ物語の一要素としてのみ存在するので、普通の小説のような登場人物への感情移入を拒むところは、少し読みにくいと感じる人もいるかも知れないが、破天荒こそが魅力のワイドスクリーン・バロックにおいて、珍しく物語が破綻していない本書などは、ベイリー作品の中でもっとも人にお薦めしやすい一冊と言えるだろう。絶妙なバランスの上に成り立っているまさに奇跡のような作品だと思う。

『王女マメーリア』ロアルド・ダール ハヤカワ・ミステリ文庫
 物語の名手ダールによる大人のためのメルヘンを9作収録した日本オリジナル編集の一冊。全編に漂う毒とあっと驚く展開がダールの真骨頂。知らぬ間に中毒になっている恐ろしさがある。収録作はどれも良いが、特に好みなのは「ボティボル氏」「執事」「外科医」「王女マメーリア」あたりだろうか。

 ※先日、「7月が過ぎれば若干はおさまる」と書いたのだが、親の介護問題に直面して
   自由な時間をごりごりと削られている状態が続いている。他の私用も重なったため、
   7月に読めた本はわずか2冊(!)という体たらく。8月になっても状況は大して変わっ
   ていないため、これからはたしてどうなることやら。(ストレスで本を買うペースは
   むしろ加速しているので、読めない本が積まれる一方なのは困ったものである。)

『物欲なき世界』菅付雅信 平凡社

 ジャンルとしてはマーケティングに分類される本だが、前半と後半では随分と印象が違う。ざっくりと云えば、まず前半は最近の若者に見られる傾向の分析から、従来型の高度経済成長を前提とした資本主義社会の終焉を示唆。そして後半は「幸福」の実現に向けた様々な思想家による提言を紹介しつつ、やがて来るべき「物欲なき世界」を示唆する。最初はよくある感じの本かと思っていたが、後半にはどんどん話のスケールが大きくなっていくのでびっくりした。
 本書で挙げられている「最近の若者にみられる傾向」とは具体的にはどんなものかというと、まずひとつはアメリカのポートランドなどから顕著になってきた「低消費型」のライフスタイルのこと。シンプルで自然な暮らしを求める人たちだそうだ。そのスタイルは「ダウンシフト」もしくは「スペンドシフト」と呼ばれていて、“モノ”ではなく“意味”を求める生活様式なのだそう。日本であれば「LOHAS/ロハス」や「スローライフ」という言葉の方がしっくりくるかもしれない。雑誌では『ソトコト』あるいは『キンフォーク日本語版』といった雑誌が提唱する価値観で、無印良品なんかも同じカテゴリーに入るらしい。こういったライフスタイルの人が増えてくると、これまでのようなマーケティングが通用しなくなってくるのだそうだ。(たとえば金融業界のマネートレードに代表されるような業界に身を置いているうち、資本主義の仕組みに疲れてしまった人たちが起業してオーガニック食品の店を始めた事例なんかも紹介されている。)
 そして傾向のふたつめは、eコマースやデジタル工作機械を利用したカスタムメイド化。まあたしかにITの影響は大きいだろうね。過去、インターネットが無かった時代には、書物にしろ現物にしろ、なんらかの“モノ”を持つことでしか情報を得ることが出来なかった訳だけれど、今はモノではなくコンテンツが重視される。また最近では、なんでも個人持ちするのでなく共有する「シェアリング・エコノミー(共有経済)」の動きもあるということだ。(*)色んな形で従来の資本主義的価値観から脱しようとする若い人たちを紹介する。ただ最後のシェアリングについては、価値観の違う他の人々との共存を受け入れる度量と社会的な認知が前提になるような気もして、もしそうなら今のように社会的弱者を排斥する傾向が強い社会では、なかなか受け入れがたい仕組みかもしれない。

   *…なお本書ではヤフーオークションやイーベイといった、中古品のユーザー同士
      での直接取引もシェアリングの一種にあたるとしている。子育ての手伝いを
      同年代のコミュニティでシェアリングする仕組みも紹介されていたが、これは
      なかなか面白い取り組みだと思う。

 冒頭でも書いたように、後半は色んな思想家の著作を引用しつつ、社会的な「幸福」の実現について考察する。若者文化や個人のライフスタイルというミクロな話題から、世界経済の未来というマクロな話題へと論調を変えた第5章からは、哲学・思想の話が好きな自分にとっては滅法面白かった。
 たとえば「お金はものではなく“信用システム”である」と説くフェリックス・マーティン著『21世紀の貨幣論』。氏によれば、お金と云うのは「①信用/②価値単位の提供/③譲渡性」という、三つの基本要素でできた“社会技術”なのだそう。貨幣論といえばマルクスあたりの知識で止まっている自分としては驚きの連続。他にもジュリエット・B・ショア著『プレニテュード 新しい<豊かさ>の経済学』などを紹介しつつ、幸せというものに対する考え方が変化していると指摘したり、第6章ではピケティ著『21世紀の資本』を引き合いにして、高度経済成長を実現する資本主義社会が長く続くことは無いと説く。「昔の夢をもう一度」みたいな風に考えている年寄りには面白くない話だろうが、でもそんな社会であってもそれなりの幸福は実現できるのだという提案は、自分のような小市民としては元気づけられる(?)ものではあるだろう。
 欲を言えば著者自身によるオリジナルの意見が無いのが残念ではあるが、それでも引用されている本を眺めているだけで充分に面白かった。社会学とマーケティングの両方に興味がある人にはお薦めの本だと思う。バリー・マクガイアや忌野清志郎による名曲「明日なき世界」を連想させる題名だけれど、決して絶望に満ちた内容ではないよ。(笑)
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プロフィール

Author:舞狂小鬼
サラリーマンオヤジです。本から雑誌、はては新聞・電車の広告まで、活字と名がつけば何でも読む活字中毒です。息をするように本を読んで、会話するように文を書きたい。

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